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  • この人との未来は、私の望んだ未来だったか?

    ご無沙汰してます。恋愛部長です。
    メッセージのほうにたくさんの恋愛相談送っていただき、ありがとうございます!
    今日も、その中から、一個。

    「生きる方向性が違うけれども大好きな彼とこの先どうすべきか。」

    というお話。

    過去のブログで、リアルタイムで書いてたように、
    私、人生の方向性が違う彼と結婚寸前でお別れしている経験があり。
    その当時は、あまりにリアルタイムすぎたので、あまり詳しくは書いてなかったんですけど。
    似たような状況の方がいらっしゃって、もう一度振り返ってみようかと思い立ちました。

    私の場合は、簡潔に言うと、もうズバリ、結婚したら仕事どーするか?っていうテーマで
    意見が食い違ってたんですねー。

    彼は、自分に稼ぎがあるから私には仕事をほどほど(と言いつつ内心はやめてほしいと思ってた)でやってほしいと思ってて。
    一方私も、恋してる真っ最中は、それもいいかな~?とほんわり思ってたんだけど、
    いざ現実となると、自分の人生のほとんど集大成みたいな今の仕事を、
    そう簡単になかったことにはできないなと思っていて。
    でも、好きだし、彼は申し分ない人だったし、
    こんな風に言ってもらえるのって、今までなかったから、(何しろ強い女って感じだったんで)(;´Д`)
    悩みましたね。
    もう40も目前でしたしね。

    好きな人がいて、その人が自分を大事にしてくれて、
    うまく行ってて、問題もなくて、
    そういう状況で、自分から手を放すのって、本当に本当に力が要ります。

    っていうか、実は私、短期留学でいっしゅん彼と離れ離れになったことがあったんですが、
    あのタイミングで行かなければ、たぶん私は彼と別れることができなかったんじゃないか?と思うんです。

    何気に、彼の人生の危機みたいな場面も二人で手を取り合って乗り越えちゃったばっかりで。
    彼はもう私に全幅の信頼を置いていたし。
    私も、そこまでしたらあとは結婚して支えていこう、と思うしかないっていうか。
    もう家族ぐるみでお付き合いだったしね。。
    それくらい、何の問題もない人との関係を、
    なんだかあいまいな、だけど妙に確信的な違和感、
    「この人と自分は向かっている方向が違うんじゃないか?」という直観だけを信じて
    終わりにするのって難しいと思う。

    実際に、別れてからも本当に苦しんだし、
    悩んだし、
    彼の顔を思い出しては、泣けた。
    自分が出した結論が、二人を傷つけていることが、
    ものすごく苦しかった。

    自分を必要としてくれている人の手を振り払ってまで、
    ただ一人になって、恐ろしい孤独に耐えてまで、
    選択すべき人生の目的ってあるんだろうか。
    何度も自問自答しました。

    でも、結論から言えば、
    あの時、決断したことが、すべての始まりだったし、
    それはすべての別れと同じように、
    私にとって意味のあることだったと。
    今は思います。

    自分の人生を、自分の手で切り開きたい、
    自分のしたいように生き、行きたい場所に行きたい。
    そのために、いっしょに生きるべきは、彼ではない。
    あの時、そう思ったことは多分正しくて。

    彼があまりに彼のこだわりを持った、完成された人間だったからこそ、
    私にはそれを変えることはできないと悟った。
    彼は、私のために、自分の人生の計画を変えるような人ではなかったし、
    それがまた彼の魅力でもあったから。
    私は、お互いが幸せになるためには、
    いっしょにいてはいけないんだと思った。
    いったん、未来をともにするべきではないと気づいたら、
    もう別れるしかありませんでした。

    だって、人生は、短い。
    人生の伴侶を見つけるために、
    まだまだ試行錯誤しなくてはいけなくて、
    そのための時間は、私にも彼にももうあとわずか。
    (年齢的にお互いにほぼギリギリ)
    結婚しなくても、とりあえずうまく行ってるんだし、いっしょにいよう、という
    考えもなくはなかったけど、
    それでは私が求める理想の出会いにはたどり着けないとわかっていたから。

    一人に戻って、
    たとえ孤独に苦しめられても、
    誰にも守ってもらえず、
    一生一人かもしれないという恐怖におびえたとしても、
    外から見た私が、
    「アラフォーで独り身の悲しい女」という風に映ったとしても、
    (私はそのうえ、「恋愛部長」なんて大仰な肩書も持ってたし。笑。)
    それでも、どうしても。
    私には、まだ、出会っていない誰かがいる気がして。
    その人を探しに行こうと、そう思った。

    今思っても、何を根拠に、と思うし、(;´Д`)
    実に無謀。あまり真似すんな!と皆さんには言いたいですが。
    結局、あの時の苦渋の決断がなければ、
    今の生活はない。
    これからの人生の展望も、
    いまの人生の喜びも、
    きっとなかった。

    だから、あの、悩んで、別れて、孤独のわびしさに震えて、それからまためげずに出会いを探した、長い長い空白の2年間があって良かったんだと思うんです。

    私は、とても人を傷つけた。
    それは、まぎれもない事実で。
    私を好きでいてくれた、
    私を守ってくれた、
    大事な人を、
    誰よりもひどい形で裏切って、傷つけた。
    それが翻って自分を苦しめた。
    こんなに、誰かを傷つけることが、
    苦しいとは知らなかった。

    いつも、自分ばかりが傷つけられていると思っていて、
    恨みに思う側だったのが、
    自分が傷つけてみて、別の苦しさを知った。それは、本当にひどい気分だった。

    でも、
    自分の人生を守るためには、
    誰かを傷つけることもあるし、
    自分に嘘をついたままでは、いつか
    きっとその人を恨みに思ってしまう。
    決して目をつぶってはいけないことが人生の選択にはきっとあって、
    それは、自分の生きる先のことに関すること。
    相手への期待とか、相手への想いとか、
    そういうのでごまかして、
    今のちょっとした違和感を見ないふりしても、
    絶対に、いっしょに暮しているうちに、息が詰まってくる。

    ホントは分かってたんです。彼と付き合い始めてすぐのころから。
    この人とは、同じ空気を持っていない、って。
    でも、恋のマジックで、目を覆われていて、
    まぁ言ってみれば彼に夢中だったので、
    私はそれを見ないふりしてた。

    昔、離婚したばかりの先輩(男性)が言った言葉ですが、
    「結婚した時にね、すでに違和感があったんです。
    そういうのは、いっしょに暮せばなくなるかと思ってました。
    でも、結局、別れる原因になったのは、
    小さな違和感を感じた、その部分だったのです。」と。
    立ち話で聞いたそれだけの言葉が、
    なぜか10年近くたつ今でも、
    私の心にはなぜか残っていて。

    それは私が男性と付き合って、結婚を考えるときに必ず頭に浮かぶ言葉なんですよね。

    もしも迷っているなら、
    直観の声に従ってみるのもいい。
    少し離れて、冷静になれる機会を持つものもいい。
    (一人旅に出かけるとか)
    ブログでも、本でも、何度か言ってることですが。

    この世のすべては、
    「神様の言う通り」。

    見ないふりをしているだけで、
    案外、答えはもう出ているのかもしれません。

    勇気を出せるのは自分一人。
    自分の人生を、
    自分の思う通りに進めるのも、
    自分だけ。
    どうか考えてみてほしいのです。
    その人との未来を。

    それは、私がそれまで思い描いて来た未来でしょうか?
    そこに、自分が描くことができる未来の余地はあるんでしょうか?
    結婚すれば人は変えられるとか、
    何かがきっかけで変わるのではとか、
    そういうのは、まやかしの発想です。

    もしも今の恋の気持ちが穏やかに消え失せたとしても、
    本当にその人といる未来は、あなたが望んだものになるんでしょうか?
    恋の感情は一時。
    でも、人生は、これから何十年先も、あるんですから。

  • 「嫌われる勇気」に大共感

    皆様、こんにちは!
    twitterにはちょろっと書いたけど、最近になってようやく話題の『嫌われる勇気』を読みました。

    これって、タイトルだけだとお決まりの自己啓発かなぁって思ってて。
    読む気しなかったんだけど、前から気になってたアドラー心理学の本だと知って、
    急に興味が出て読みました!

    そもそも、twitterなどで流れてくるアドラー心理学自体が、この本発だったのですね・・(;´Д`)しらんかった

    で、読んだところ、
    「なーんだ、これはそうだね」って共感部分が大きくて、
    これはぜひとも、恋に悩む皆様にも読んでほしい一冊です!

    ちなみに、
    表題の、「人に嫌われても気にすんな」的要素は、全体のうちのほんの一部です。

    「いっしょにいて、どこか息苦しさを感じたり、緊張を強いられるような関係は、恋ではあっても、愛とは呼べない。人は、『この人と一緒にいると、とても自由にふるまえる』と思った時に愛を実感することができます。
    劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、平穏な、きわめて自然な状態でいられる。ほんとうの愛とはそういうことです。」(『嫌われる勇気』より)

    とかって、まさに!
    恋愛部長がいつも言ってたことじゃん!
    別にアドラーぱくってたわけじゃないからね!(爆)

    あとは、
    他人を変えることはできない、変えることができるのは自分だけ。とか。

    まさにまさーに。

    私よりずっと過激なのは、
    トラウマなんて嘘!と断じてること。
    これは、ちょっとむむ??と考え込んじゃったけど、
    トラウマが完全に存在しない、ってことじゃなくて、
    トラウマだと思うから、トラウマが効力を発揮するって意味だと思う。
    過去に囚われる人は、過去に囚われたくて囚われてる、と。
    自分であえて何度も振り返るから、そこから抜け出せない、
    というのは私もagreeです。

    そこからいっぽ出る勇気さえ持てば、自分は変わる。人生は、変わる。
    そういう「実践的」な心理学(というより、心理療法)なんですね。
    大変納得感が高いです。

    でも一番難しいのは、劣等感と劣等コンプレックスの下りで、
    他社との競争ではなく、理想の自分との戦いにせよ、とか
    人間関係には上下の縦関係を見るな。横でとらえよ、とか。
    その辺は、結構どんなにがんばっても難しい発想もあります。
    私なんか、もう超、劣等コンプレックスの塊ですしね。
    (アドラーは、「劣等感」と劣等感から来るこじれた発想「劣等コンプレックス」を区別してます)

    でも読めば読むほどに、
    自分は人間関係の中で劣等コンプレックスや、恋愛問題、親子問題でぐずぐず悩んでいて、
    すぐ言い訳つくっては、頑張らない自分に甘んじてて、
    思いっきりダメな状態なんだなーって思う。

    アドラー、もっかい読んで、さらに実践できれば少しは変わるかな。。

    ということで、
    人間関係に悩むあなた。
    自分なんかもう駄目よ、と落ち込んでるあなた。
    彼はどうして私のことを見てくれないの、と恨みがましく思うあなた。
    過去のトラウマに苦しんでいるあなた。
    ためしに、
    「嫌われる勇気」読んでみてはいかがでしょうか?

  • 男って、弱くて甘ったれた生き物だ

    男って、弱くて甘ったれた生き物だ

    お久しぶりです。恋愛部長です。
    すっかりご無沙汰しちゃって、何から書いていいのかって感じですが、
    生きてます。元気に仕事と育児やってます。笑

    さて、皆さんからのメッセージでのご相談もいろいろ拝見しています。
    何か答えようかと思って考えているうちに考え込んで、気が散って、どうも書けずにおりました。スミマセン・・

    で、そういうのを見て最近思うこと。

    男子って、結局、弱くて甘ったれだよなってこと。

    あ、身もふたもないことでスミマセン。(;´Д`)
    いやね、子ども育ててると、男女の差って明白なんですよ。
    こんなに違うもんかっていうくらい違う。
    さすが違う星の生き物って言われるくらい!
    むしろ、幼児期のほうが、男女差が大きいんじゃないの?!って思うくらい。

    女の子は、最初っから女っぽいし、ずるくて、賢くて、おしゃべりで、おませ。
    男の子は、最初っから、おバカさんで、無鉄砲で、無邪気で、弱虫。

    ホントにね、男の子って、弱虫なの。甘えん坊で、傷つきやすくて、純真なの。
    そして、考えなし。(爆)
    女の子が強いのは、生まれつきなのね。
    発展途上国など、子どもの衛生状態が悪い国では、
    男子の生まれる率が高い。なぜかというとよく死ぬから。
    「一姫二太郎」というのも、
    女の子は育児が楽だけど、男子は、すぐ熱出したり、ほっとけなくて大変だから。

    マジで、男子は、大人になろうが、この子供の時の、
    弱虫で甘ったれな「男の子」を心の中に持っている。
    そう思うと、どんな恋愛の不条理も、あっさり説明できてしまう。

    たとえば、仕事が忙しくて、音信不通になる彼。
    自分のことで手いっぱいで、あらゆる面倒なことから逃げ出したくなってる。
    相手を傷つけようが、相手を失おうことになろうが、
    まずは自分がかわいくて、自分を守りたくなってる。
    だから、後先考えずに殻にこもったり、
    面倒なものを、発作的に切り捨てたくなる。

    それも、甘え。

    女性、という、自分を受け入れ愛してくれる存在自体に対する、
    無心の甘えなんだと思う。
    別に他意はない。
    ただもう、その時は、
    そうなっちゃって、
    自分をそのまま受け入れてくれない人(=忙しいならほっといてくれる、ではない人)は、
    自分を愛してない!と勝手なキレ方をする。

    そこにフェアネスなんかないんだな。(;´Д`)

    あくまでも女は自分を受け入れて甘やかしてくれる存在だと、
    無意識の中で思ってるっちゅうか。
    それを裏切られると、心の底から傷ついて、もういい!ってなって、心を閉ざしてしまう。
    その面倒くささが、男子ゆえ。
    メンタルが根本的に強くて図太い女からすると、
    マジで、意味不明。

    なんであんたばっかり甘ったれてんの?!って思うんだけどね。
    こればっかりは、そういうもんだ。生き物として別もんなんだと思うしかなくて。
    あー、こういうことだったのかと、
    子育てしながら改めて納得する私。
    今ならどんな恋愛もうまくいく・・・と遠い目をしてしまいます。
    (いや無理だけど)

    さてそんな、甘えん坊弱虫な男子に、女子としてはどうすべきかっていうと、
    もうね、頭っから、そういう生き物だと思っておくに限るっていうか。
    そうすれば怒ったり悲しんだり、絶望したり追い詰めたりしなくなる。
    多分これ読んでる人はまだ半信半疑だと思うのね。
    「いや、部長の好きになった男はそういう男かもだけど、
    私の好きな彼は、もっと精神的に成熟してる、大人で凛々しい男だから・・」とか思うかもね。

    でも、
    そんな風に彼が見えるとしたら、まだ、あなたは彼の本質に触れてないだけだ!
    と断言しておく。

    どんなにクールに見えても、大人に見えても、頭が良くても、老成してても、
    男というものは、甘えん坊の弱虫だ。

    自分のすべてをそっくりそのまま受け入れてくれて、
    褒めてくれて、なでなでしてくれて、抱きしめてくれて、
    自分のほしい言葉をかけてくれて、
    時には厳しく叱ってくれて、
    自分の人生の先に、夢をくれる、
    そんなやさしくて強い、母親みたいな女を追い求めてるんだ。

    ってことは、女はそうあるべく、心を鍛えるしかないじゃない。
    男よりナイーブだったり、
    男より傷つきやすかったり、
    男より弱虫でいる場合じゃない。

    でも大丈夫、女って、
    生まれたばっかの時は、本当に、
    強くて、明るくて、自立してて、健康だ。
    周りの子を守って、やさしく手を差し伸べて、面倒見てあげるのが好き。
    それが女性の本質なんだと思う。

    もしも、自分はそうじゃない、と思うなら、
    本質からかけ離れるように育ってしまったせいだし、
    人生の過程で、勝手に頭でそう思い込むような経験をしてきてしまったせい。
    だけど、心の奥のほうには、
    そんな、強くてやさしいママンな自分が眠ってる。

    恋愛で、
    相手の男に翻弄されているときは、自分のそういういい面は出てきづらい。
    でも、いったん、男の弱さを受け止めて、
    それに対して振り回されず、
    むしろ大きな愛で返すことができることを知ったら、
    女の本質はバーッと花咲く。

    たとえば、男子は、すぐに殻にこもる。
    もういい、俺のことはほっといて!ってこもる。
    でも、本心では、
    どこかで声かけられることを待ってる。

    怒られると、泣かれると怯える。
    そんなのは怖いから、まっぴらだと思う。
    面倒なことが増えると、
    もう嫌になって、逃げだしたくなる。
    だけど、本当は、
    彼女には泣かないで怒らないでほしいと思ってる。
    笑っていてくれたらどんなにいいだろうと思ってる。

    もしも男子と同じ目線で、
    「もう彼は私を愛してないんだ」「彼は私を嫌いになったんだ」と絶望しているのなら、
    いったん目線を上にあげて、俯瞰してみてはいかがでしょう。

    彼は、怯えて、逃げているのかもしれないし、
    面倒を切り捨てたいのかもしれない。
    それは、嫌いとか、好きじゃなくなったとかとは、本質的に違う感情。
    もしかしたら、簡単に避けられたかもしれない事態なんです。

    私たちが、根本的に、見誤ってること。
    それは、男子が自分と同じくらい精神的に成熟していると思っていること。

    実際は、男子というのは、
    おそろしく弱虫で、甘ったれの、
    未成熟な生き物だったりするんだよ。
    それをどうか思い出してください。
    あんまり高い次元で悩まないで。
    ある種、笑っちゃうくらい単純化して考えると、
    何がうまくいかない原因か、見えてくるかもしれません。

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  • 手術入院してきました~

    皆様メリークリスマス!です。
    イブの夜はいかがお過ごしでしたか?
    私は、twitterにはぶつぶつしてましたが、
    12月入ってすぐに、手術のために10日ほど入院してました_| ̄|○
    なんかねー、何がつらいって、
    子供に会えないことですね。
    入院中は、家事もやらんでいいし、寝てるだけでいいし、
    いい休息になるかと思ったけど、まー、そんなことはないね。(当たり前)
    昔、腹痛で年末年始飲まず食わずで入院した時は、
    結構入院生活を満喫したんだけどね。(おい)
    それにしても、
    入院中お隣のベッドで仲良くなったおばーさまとおばさまは、
    どちらも、とってもパワフルで。
    お仕事しながら子育てして、
    いまは介護もして、
    離婚しちゃった息子の連れて帰ってきた孫を2人も育てて~、
    60歳で起業して~と、お二人とも、
    ずーっとずっと仕事も家事も子育てもバリバリにこなしてきて、
    「いま倒れるとみんな困るから!」と元気に笑っておられました。
    私なんかよりずっとつらい病気で、
    術後も大変なのに、
    私のことも力づけてくれました。
    はー、やっぱ女の人って強いわぁ、と感心したね。
    私なんか弱音吐くなんて100年早いわね。(;´Д`)
    ということで、
    無事退院もして、会社にも復帰できて、
    なんとか穏やかに年越しもできそうです。
    また時間を見つけて更新しますが、
    ひとまずご報告でした!
    皆様楽しいクリスマスをお過ごしくださいませ。

  • 子育て)若い女子に対する目の変化

    子どもが生まれて変わったこと。

    実は私、
    結婚する前の30代後半、あることに悩んでたのね。
    それが、
    あんま大きな声では言えない&男性には言いづらいことなんだけど、(笑)

    若い女子に憎しみに近い感情を抱いてしまう
    ってこと。

    憎しみって書くとなんか物騒ですが、
    まさにそんな感じ。
    イラっと来る、むかむかする、もやもやする、チリチリする。
    とにかくネガティブで暴力的な感情。

    別に、全女子に向くわけではないんです。
    ただ、ある特定のシチュエーションで「来る」。

    たとえば、若い女の後輩が、若い子にありがちな無邪気な態度で、
    目上のおじさんとかにタメ口きいたり、
    冗談で突っ込み入れたりする。
    それがダメ。

    もうイラっとして、
    「女の子だからってそういう態度なに?」って目くじら立てちゃう。
    もしくは、若い後輩が、男子連中と戯れてて、
    「こんどあそこ行こうよぅ」とか甘えてる。
    それだけでまた、もやっとして、
    「何そんな学生気分で・・」って思う。

    大したことじゃない、
    昔はまったく気にならなかったし、
    それどころか、どう考えても自分だって若いころはやってただろ!って突っ込み入れたくなる、そんな、若さがキラキラした言動行動が、
    なぜかまぶしすぎて、イライラして。
    ついつい苦言のひとつも言いたくなったり、
    時には叱ってしまったり。

    そのたびに、自分で自分の中のこのイライラの根源が、
    きっと「若さ」と「女子」という二点の合わさる部分にあることは分かっていて。
    それを許容できない自分、
    イライラしている自分がまた、情けなく、嫌で嫌で、
    今度はそっちでどんより落ち込んだりした。

    ある時はセラピーにかかって、
    自分の中の、この若い女子に対する不条理な苛立ちを
    いかに克服したらいいか相談したりもした。

    それくらい、
    自分でも、嫌だったんです。
    こんな感情を抱く自分。
    その感情を消すことができず、
    自分をかえって傷つけていることが。

    だって、まるでそれって、
    私が一番避けたかった、
    「お局さま」そのものじゃない?!

    若い娘と見ると意地悪する、ひがみ根性の、独身BBAって感じじゃん?!
    ぎゃーーーーっ!ですよ。_| ̄|○

    私はね、自分だけはそういうのになりたくなかったわけ。
    ぜったいにぜったい、そんな醜い女にはなりたくなかったの。
    ひがんでるなんて思われたら死んじゃう。
    そんなみっともない女になるために
    年月を経て来たわけじゃない。

    仕事上では優秀でかつ周囲にも尊敬されて、
    愛される、カッコイイ先輩になりたかった。

    のに、実態は、
    若い女子にイライラする自分を抑えることで精いっぱいの、
    なんとみっともないアラフォー女!

    そういやそのころトライしてたセドナメソッドは、
    その、若い女子へのネガティブな感情をなんとか自分から追い出したくてやってたんでした。

    そのころから分かってた。
    自分がどうして若い女子の行動言動にいらつくのか。

    おそらくは、私はそのころ、
    女性が子どもを作る年齢ギリギリいっぱいに近づいていて。
    生物的に見ると、
    周りの若い女子は、いるだけで、自分が子どもを作る上での障害だったんだね。
    だから、無条件に排除したくなる。
    女子が男に媚びるような態度を見るとイライラするのは、
    本能のなせる技だと思うんだ。

    自分がまだ若いうちは気にならない。
    それは、相手と同じ位自分にもチャンスがあったから。
    でも40も近づいて
    限りなく可能性も機会も閉ざされてくると、
    周りの女子をはったおしてでも自分が機会を得なくてはならない、
    そうでなければもう子どもを産むチャンスはないんだと、
    生物的本能で、感じていたんだと。

    だから、どうしようもなく、
    若い女子にイライラして、
    その存在を自分の近くから排除したくなってたんじゃないかな~と。

    だから、イライラするのはある意味しょうがないし、
    自分がまだ女だっていう、
    子どもを産める身体だってことの証明だったのかもしれないなと。

    その証拠に。
    子どもができてから、
    このイライラ、嘘のように消え去りました。(爆)

    若い女子に対する憎しみ、完全にゼロです。
    それどころか、
    自分の子どもが娘なのもあるかもしれないけど、
    世の自分より若い女子全般に対して、
    なんとも言えない強い愛情を感じるようになっちゃったのです!

    なんだこれ。真逆じゃん。(爆)

    もうね、ドラマとか見るでしょ。
    若い子生意気な20くらいの女の子見ると、
    昔はきっと「生意気ムカつく~」と思ってたと思うのに、
    いまでは、
    キューンと切なくて、いとおしくて、抱きしめたくなっちゃう。
    完全母目線。

    お店でお菓子がほしくて駄々こねてひっくり返って泣く女の子も、抱きしめたくなる。
    ランドセル並べて歩く女子小学生のほっそい足見ても、キュン。

    もうおかしな状態ですわ。
    なもんで、
    子ども産む前に、イライラしてた後輩たちにしても、
    今ではなんだかすっかり「あーかわいいねえ」みたいになってて、
    完全に憎しみが抜けました。
    毒気抜けた抜けた。

    いや~あんなに悩んでたのがなんだったのかっていう位。
    子ども産むと身体の中の悪いとこもいっしょに出て行くと言いますが、
    心の毒素もいっしょに出てちゃったみたいね。
    ホントに、娘さまさまです。
    (;´Д`)

    でも、つくずく思うのは、
    人間と言うのは、動物なんですよね。
    女ってのは、動物なんです。
    子ども産み育てるっていうプリセットされた目的に向かって、
    身体も心も支配された存在だってことです。

    そのために毎月生理が来て、準備して、
    ホルモンが作動して、行動言動を決めてるんですから。
    なんかこう、人間が理性だ良心だと、
    あらゆることをコントロールしようともがけばもがくほどに。
    この本能に深く刻まれた自分の中の
    動物性に立ち帰るというか。
    どうにもできない衝動は、
    ほとんど、この本能のなせる技だったりするものだから。

    時には、得体のしれない憎しみも、
    それを抱いた自分を責めるのでなしに、
    その背景を理解して、自分を許してあげることもありなのかも、と。

    それから、
    子どもなんかいらないっていう夫婦が増えてる昨今ですが、
    私個人の意見では、
    自分が偏屈なお局様にならなくて済んだのは、
    すべて娘のおかげなので、
    人間性を変えてくれるありがたいものとしての子どもっていうのも、
    もっと世間さまは知ってた方がいいんでは?と思う最近です。

    手がかかる、金がかかるけど、
    それに比することができないくらいのたくさんのものを
    子どもはくれるんですぜ~

  • 心を開くとはどういうことか?

    先日の記事に、コメントで質問があった件について、思うところがあったので書きますね。

    心を開くってどういうこと?
    ネガティブな自分もさらけ出すってこと?

    というものですが。

    正直、心を開くのって、すごく難しいことだと思います。
    私自身、旦那と出会うまでは、
    付き合う人に本当の意味で心を開いたことはなかったんじゃないかと思うくらい。

    どこかで壁があって、
    どこかで、「どうせこの人に言っても分からないし」って警戒してた。

    そのくせネガティブな感情はぶつけてるんです。
    それで自分自身を相手に出しているつもりになってた。
    まったく違うのにね。

    自分の弱さ、醜さ、ネガティブな部分をさらけ出すこと=自分を出す ってことではないと思う。

    でも↑みたいに考えちゃってる子はものすごく多い。
    なんででしょ?

    それは、ネガティブな部分=自分の最低な姿を見せても逃げずに愛してほしい!っていう、
    底なしの願望のせいだと思う。

    だってさ、なんで自分を出すって言う時に、
    ポジティブな部分を出さずに、
    ネガばっかり見せなきゃいけないの?

    誰かに褒められてうれしい!とか、
    私はここがひそかに自慢!とか、
    それだって、自分のホントの姿なのに、
    なんでそういうのを出さないで、
    ネガばっかりを、「自分の本当の姿」って思うんでしょうか?

    よく考えるとおかしくない?

    これってつまり、
    自分のダメな部分を見せる=自分を見せる→それでも私を好きだって言ってくれる=本当に愛してる
    って図式で思いこんでるせいじゃない?

    でも冷静になってみれば、
    誰だって、知り合ったばかりのまだ好きほやほやな時期に、
    いきなりネガな部分、ディープなトラウマだの悩みだの聞かされたら重いです。
    せっかくの恋の華やかな気分も台無しです。

    恋って、男性にとっては、女性そのもののの、ふわふわときれいで、いいにおいがするような
    ロマンチックなものなのに、
    なぜそれをわざわざぶち壊すような情報をどどっと入れようとするのでしょう?

    もちろん、長く付き合っていくうちに、信頼関係ができて、
    深く信頼できるようになってから、
    小出しに自分のコンプレックスなどを打ち明けてもいいと思います。

    でも、なんでもかんでも自分のネガな部分、
    とりわけ恋愛に関するネガな性質などを、
    相手にドーンとぶつけるのは、
    ただの無粋というものです。

    そして、それを、「自分らしくふるまっている」「心を開いている」と勘違いしてはダメだと思う。

    だって、人間そんなにネガな感情だけで出来てるわけじゃないんだもん。
    ホントは日々の生活の中には、
    楽しいこともうれしいことも、得意になることも、わくわくすることもあるでしょ。
    それを全部なかったみたいに、
    なんで自分を悪い感情だけで演出するんでしょう?

    それはさっき書いたみたいに、
    ネガな部分を受けとめてくれることが愛だと思ってるからだし、
    自分のマイナスの部分を、相手が埋めてくれることを期待しているからだと思うんだ。

    でも、それは恋愛ではない。
    とハッキリ言っとこう。

    誰かがいなければ埋まらないマイナスなんて、ないんだよ。
    誰かの想いに依拠した幸せなんて、なんてもろくて危ないんだろう。

    そんな、日々コロコロ変わるようなものに、
    左右されるなんて。

    恋愛は、自分の足りないところを埋めるためにあるんじゃない。
    ネガティブを、相殺するためにあるんじゃない。
    確かに、自分のダメな部分も受け入れて、まるごと愛してくれるのは理想です。
    でもそれは相手がそうしたいからそうするだけのこと。こちらから望むことじゃない。
    自分にできるただひとつのことは、
    相手のダメな部分を丸ごと愛すること。
    それだけです。

    では、心を開くってなんでしょう?

    これは私もずっとテーマでしたし、
    わからなかった。
    どういうことが心を開くってことなのか。

    私は友人にもほとんど心を開かない。
    女の子に対しては、自分の弱みを吐露することで、
    なぜか安心を与えあって仲良くなれるという法則があるものだから、
    恋の悩みなどを打ち明けては、
    心を開いている風を装ってた。

    でも、本当の意味で信じてないのは分かってた。
    一つだけ言えることは、
    私がただ一人親友だと思っている人には、
    悩みだけではなくて、うれしかったことも話せるということ。
    彼氏ができて、幸せになった時に、真っ先に打ち明けて、
    いっしょに喜んでくれると確信できるのは、彼女だけ。

    それでも、彼女が聞きたくないだろう話は話さない。
    そこは気を使ってしまう。

    だから、心を開くって言うのは、どういうことかって聞かれても、
    自分であれこれ考えてくれとしか言えない。
    他人の私が、
    「こういうことですよ」と簡単に言えるようなものではないのが事実。

    私だって、分からなかった。
    どうやったら心を開けるのか。
    ネガばかりを吐露して、
    相手の愛情を確かめるような「手段」ではなしに。
    弱みを見せることで相手を縛ろうとするような「手段」ではなしに。

    本当に、
    日々思うことを素直に伝えられる、
    相手が理解してくれるかどうかなんか気にすることもなく、思うままに話し、
    相手にどう思われるかなんて気にすることもなく、自分の意見を話し、
    相手の態度に、過度に反応することなく、
    自分が理解されているということを信じられる状態。
    相手を信じて、つくりものではない自分の素のままでいる。

    むしろ、自分のネガティブな部分をさらけ出すのは簡単です。
    自虐的でいるのは、人間は楽です。
    もうすでに白旗を上げているんだもの。
    「丸腰です私を攻撃しないでね」って言ってるんだもん。

    むしろ難しいのは、
    自分が愛されるに足る人間だという自信をもって、
    フラットに物事に意見することだったりしませんか?

    「私はこんな風に感じたの」と、
    何でもないことに自分の考えを述べることのほうが
    よっぽど緊張するし、怖くないですか?

    相手にどう思われるだろう?
    好かれるだろうか?とあれこれ気にして、
    相手に合わせたくなって、
    相手の顔色を伺いたくなって。
    失敗したくない、嫌われたくない、呆れられたくない、と。
    そんな風にバイヤスがかかって、なかなか自分の思うことなど言えなくないですか?

    まずはそういうところから、
    「開いて」いく必要があるのかなと。

    そして、自分がうれしいと思ったこと、
    相手を大切に思っていることを、
    決して卑屈にではなく、
    相手を覗うのでもなく、
    むしろ、上から目線な(笑)くらいで、
    素直に伝えられるか。

    そっちのほうがよっぽど、勇気がいる。
    そういうポジティブな部分を、キチンと相手に開示することも大事。

    心を開くって本当に難しいです。
    どういうことか分からなくて、
    ぐるぐるぐるぐる試行錯誤しました。

    でも、少なくとも思うのは、
    自分の弱くてネガティブな部分をとりわけ相手にぶつけて、
    相手の反応を見ることが、
    その反応で、自分への愛情の有りなしを判別しようとすることが、
    心を開いているという意味ではないということ。

    なぜか女子はみんなやっちゃいがちなんですが。
    やりそうになったら立ち止まって考えてみて。

    本当に、そのネガティブな部分を先に見せる必要あるの?
    それを許容してもらわないといけないと思いこんでない?

    自分の本当の姿は、
    本当にそんなに醜いの?

    何も最低の自分を見せてそれを好きになってもらおうとしなくていいよ。
    そんな無理難題は誰も解けないって(笑)

    そんなことより、
    一番リラックスしていて、
    自分でも大好きな自分、
    のびのびして、幸せで笑っている自分を、
    相手の前で出せるのか。
    その方が大事。

    誰だって、ビクビクして自分を隠している人よりも、
    のびのびとして、愛情を疑わずに振舞っている女性の方が
    魅力的と思うんだから。

    そういう風に、考えてみるのがいいんじゃないかなと思うんです。

  • 一番に愛されない私

    いただいたメッセージでの恋愛相談の中に気になったものがあったので、
    今日もまたそこにお答えして。
    (どのメッセージのご相談も気になってお返事したいんですが、
    結構たくさん来るので、全部答えられずにすみません!)

    ざっくり要約しますと。

    ・今まで付き合ったことがある人が1人だけ。
    ・恋愛経験が乏しいのが悩み。
    ・見た目だけで寄ってくる男性はいるけど、
    中身とのギャップがあるせいか、
    2,3回会うと、男性が離れて行ってしまう。
    ・一度言われたのは、
    「男心が分かってない。一番好きになってもらったことがないのが分かる。」
    ・孤独感から、つい2番目3番目の関係でも・・と思ってしまうけど、
    1番に愛されたことがないというのがつらい。

    という30代の方。

    うーむ。
    その人を直接知ってるわけではないから、
    どこに本当の原因があるかはわからないんだけど。

    まずは、これだけは言っておく。
    恋愛経験がゼロでも、結婚はできる。
    1番に愛されたことがないなんて、
    それも案外普通です。

    っていうか、1番に愛されてて、
    自分も1番に好きだったら、それで決まり。結婚でしょ。
    そういうもんじゃないの?人生は。

    だけど、こっちが1番に好きでも、
    相手が1番じゃなかったり、
    お互いに1番だと思ってつきあったけど、
    別の1番ができたり、
    うまいこと歯車がかみ合わないからみんな苦労してるんであって。
    そんなことを気にしない気にしない。

    それ言ったらね、私だって、20代の頃は、ほとんどがかみ合ってなくて、
    こっちが1番って思ったけど振り向いた途端そうでもないかーってなったり、
    1番と思ってた人に、「お前は2番だごめん」と言われたり、
    そんなことばっかりでしたよ。(爆)

    そのころは気にしてたね、確かに。
    人生で付き合った最長6カ月って時期もあったしね。
    「私は1番に思う人からは選ばれないのかしら?」
    「人並みに恋愛とかできないの?それは不細工だから?」
    「なにか女として性格や人格に欠陥があるからいつまでも選ばれないの?」と。
    いやなんだかんだで、結構いい歳になるまで
    そんな悩みはあったよ。マジで。

    私は相談者さんのように男が寄ってくるタイプでもなかったしさ。
    どっちかってーと男友達!って思われるがさつなタイプで。
    恋愛に自信が持てない時期は結構あった。

    でもね、
    結果オーライなのが、人生で。
    恋愛は、100経験しようと、
    間違った相手とだと、全部空ぶるんですよ。
    結婚しなければ、一人なの。
    どんなに魅力的で美人で、モテモテちゃんでも、
    40過ぎても相手が見つからなければ、独身なの。
    逆に、地味子で、モテなくて、
    恋愛は1度きりしかしてなくても、
    それが運命の相手なら、結婚すんの。
    そんで、それが幸せってことなの。

    人生は、そういう風にできてるんですよ。

    私だって、41で結婚したけど、
    そこまで出会わなかったからしょうがない。

    いまは、「なんでこんなに簡単なことが、私はできなかったんだろうか?」って
    真剣に悩んじゃうけど、
    それはすべて、正しい相手に、正しいタイミングで会えたから。ただそれだけ。

    私の恋愛スキルのおかげでもないし、
    相手が王子様だったわけでもない。
    自分の成長具合と、出会いのタイミングと。
    二人が結婚したいと思ってた時期がたまたまたピタッと合ったから。
    そんだけです。

    何度も書いてることですが、
    恋愛には、なんのテクニックもいらんのです。

    テクニックではなく、心構えと言うか、
    心の柔軟さ、相手に対する洞察力や、
    いざという時に反応できる、筋力がついていればいいんです。

    恋に心を閉ざしてしまって、
    苦手意識があれば、萎縮して、
    自分本来の魅力は死んでしまう。

    それだと、恋は全部裏目に出る。
    相談者さんは、まさにいまそんな感じ。

    たぶんね、恋がうまく行かない原因は些細なことなんです。

    たとえば、見た目と中身のギャップがある人の場合。
    本当の自分を好きになってくれるのではなく、
    見た目のイメージで勝手に想像された自分を好きになられちゃうと、
    実際との違いにガッカリされるっていうのはよくある。

    だとすれば、それは、直すべきは、ギャップの部分。
    たとえば、本当は奥手で内向的な性格なのに
    逆に軽くて遊んでるように見えるとすれば、
    それは自分には合わない男性を引き寄せちゃってるわけだから、
    遊ばれちゃう可能性は高くなる。

    そういう場合は、見た目のほうを中身に近づけるとか、
    もっと自分らしさを前面に出すように努力する。
    それによって男性受けしなくなっても、そのほうがいい!と割り切る。

    万人にちょっとずつ好かれるより、
    自分の本当の姿を知ったたった一人に好かれればいいんだから。

    もしも本当の自分とは違う虚像を好きになって近寄って来た人に、
    何か失礼なことされたとしても、
    それは何も意味のないことなの。

    自分とは違うタイプの女性が好きな男性に、
    「お前は俺のタイプじゃない」とか言われても、
    「そりゃそーだろよ」と思えばいい。

    自分に合った人が近づいてこないのは、
    自分が自分を受け入れて認めてないのも問題だと思うんです。

    本当の自分なんかきっと、誰にも愛されないって思うと、
    素直に自分を出すことが怖くなるでしょ。
    それが、虚像を守る方向に働いて、
    ますますギャップがひどくなっちゃう。

    男受けする女性ってなんだろう?
    男に愛されて選ばれる女ってどんなだろう?って
    どんどん自分ではない別の人になろうとして、
    なれるわけがないので、そこでまた分裂して、
    自信を失って、そのネガティブスパイラルに陥ってしまう。

    そういう自信のない女性、
    自己評価の低い女性は、
    大概において、1番に選ばれない立場におかれがち。

    それは、自分の意識の低さのせいなんだよね。
    そりゃわかってるよ!それがわかってるから悩んでるんでしょ!って思うよね。

    そうです、そうなんです!
    そこが実は一番難しく、
    一番取り組まなきゃいけないとこなの。

    自分の自己評価の低さを、克服するのは
    実はものすごく大変なことなの。
    私の友達にも過去いましたが、
    恋愛においてなかなかうまく行かない子って言うのは、
    総じて、自己評価が低い子。
    私なんて・・・が口癖。

    前も書いたけど、
    「こんな腐った魚を売ってて美味しくないですけど買ってくれないよね?」と言ってる魚屋から、どこの料理人が魚を買いますかっちゅう話。

    まずは、自分の自分に対する評価の低さを克服しなきゃダメ。
    そのためには、

    孤独を埋めるだけの安易な「恋愛のようなもの」を重ねてはダメ。
    それはただ自分の傷を広げるだけの行為だから。

    自分の孤独は、自分で受けとめて、自分で克服する。

    誰だって孤独です。
    誰かに愛されたからって孤独じゃなくなるわけじゃない。
    そこは勘違いしないほうがいい。

    自分が愛してない男にいくら一番に愛されても、孤独なんか癒されない。
    自分が、本気で自分を愛して、
    自分の側にいてほしい人を愛するなら、
    その時孤独は癒される。

    自分が一人でいても大丈夫な時しか、
    誰かを愛して幸せにすることはできないものだと思うから。

    そしてね、
    たぶん、恋が上手じゃない(ように見える)人は、
    自分のことばっかり前に出ちゃってる状態なんだと思うんです。

    男心が分かってないって言うけど、
    分かってないのは、「男の心」ではなくて、「相手の心」のことなんじゃないのかな。

    自分の孤独、自分の足りない部分、自分が愛されたいという気持ちが強く出過ぎて、
    相手を見たり、相手が自分を好きになるためにどうしたらいいかっていう、
    冷静な判断ができなくて、
    ただ幼い子どものように、
    自分を愛してほしい、自分が自分が、と
    自分の要求が分かりやすく目についてしまうのではないでしょうか?

    ただの憶測ですが。

    どう言ったら、どう行動したら、
    相手がどう思うかを想像できる余裕さえあれば、
    最低限、誰かと付き合うことはできると思う。
    それは男だから女だからと構えることではなくて。
    女友達と同じような自然な態度で、
    相手を思いやることができれば、
    それで普通に付き合っては行けるんです。

    あとは、そこで、自分が相手を信じて、
    自分の本当の姿を見せて、
    くつろぐことができるかどうか、です。

    恋だって、男女の関係だって、最後は心と心。人間と人間の話。
    何も特別肩に力を入れることではない。

    心の底から信じられる、誠実な友人はいますか?
    その人を大事にして、いつもその人の力になれてますか?
    親兄弟は大切にしてますか?
    心を開いて、彼らのために力を尽くしたりできてますか?

    そういう普段からの人間関係が、潤滑に進んでいるのなら、
    恋愛だって、うまく行かないわけがない。
    何も特別に構えることはないんです。

    誰か一人、信頼できる人間がいて、
    その人のそばにいるとくつろげて、
    自然と自分という人間が素直でかわいくなる。
    そういうたった一人の相手を探しに行く。
    それだけの心持ちでいいんだと思うんです。

    そして、それが、20代のうちに見つからなくても。
    30半ばまで見つからなくても。
    たとえ40過ぎてしまっても、
    正しい相手を探している努力と、
    自分を愛し、自分を自分で幸せにする努力を忘れなければ、
    きっといつか本当に心の底から、あなたを一番に大切にする人は現れるはず。

    それまで焦らないで、自分を大切にしていたほうがいい。

    イメージってすごいです。
    自分のセルフイメージを変えただけで、
    何ひとつ変わらなくても、
    状況がどんどん変わるんですから。

    今すぐやってほしいのは、
    自分には愛される価値があるっていう確信を持つこと。
    それが持てないなら、持てるようになるまで
    問題を一個一個クリアしていきましょうよ。
    どこかで誰かにかけられた呪いを解きましょう。
    過去の恋の悪しきパターンの根源をみつけて、
    二度と繰り返さないように心に決めましょう。

    余裕のない自分をくつろがせ、
    一度恋の悩みから身を離して、自分に自信を取り戻しましょう。
    自分を愛してくれる友人と会い、
    愛してくれる家族と会い、
    自分をけなすもの、害する存在から距離を置きましょう。

    一個一個焦ることはないから。
    時間をかけていいから。
    嘘の自信や嘘の確信でごまかさないように。
    何度でもがけから落ちてもいい。
    傷ついても、必ず、前より高いところに登れればいい。

    そうやって、本当の意味の自分でつくる自家発電の絶対幸福感を
    身につけましょう。

    それこそが、男性があこがれ、求める女性像です。
    決して誰かの評価に振り回されない、
    自分で自分を愛している、
    自分に信頼を寄せている女性。
    それこそが、他人を愛し、受け止め、許容することのできる女性。

    自分を安売りせずに、自分の誇りを守れる女性。
    やさしく、つよく、厳しい、母になるべくして生まれて来た女性。
    そのイメージを自分のものにしてください。

    今からじゃ遅いなんて、ただの逃げですよ。
    まだまだ全然間に合います。
    いくつになっても、
    自分を幸せにする力があるのは自分だけなんですから。

    どうか、今の自分を囲う檻に気づいてそこから抜け出してください。
    そして、そこから、正しい方向へ努力する勇気を持ってください。

    きっと、幸せになることができる。

    気づいた時から、幸福へ至る道は始まっているんだと思うんです。

  • だまされたくないあなたへ

    昨日アップした記事にいただいたコメントで、なるほどそういう見方もあるねと思ったので、
    つづけて書きます。

    つい相手に厳しくなってしまう。
    おおらかでいたいけれど、
    だまされたくはない。

    そうですね、確かに、
    大きく構えて、嘘を見逃しているうちに、
    足元見られて浮気されたら元も子もないですよね。笑

    その気持ちは分かる。

    私も、一時期すごく疑心暗鬼になってて、
    「この人はただ遊び相手がいればいいだけの人?」「恋をゲームだと思ってない?」と
    ものすごく勘ぐって、クタクタになってたことがありました。

    でも、そういう時って、あとから思えば、
    こっちがものすごく値踏みして意地悪に見ているのが相手にも伝わってて。
    相手からも、値踏みされてたんじゃないかなーと。

    恋は、つねに、合わせ鏡になっていて。
    自分が思うように、相手にも返される。
    こっちが疑ってかかれば、
    相手は心を閉ざすし、
    こっちが心をオープンにしていると、
    向こうも正直になってくれる。

    相手を人として、信じられるかどうか。

    それは、付き合う上で大事なことだと思っていて。
    恋愛以外のあらゆる場面でのその人を、
    人として許容できるかできないか。

    たとえば、自分にはいくらやさしくても、
    お店の店員さんに横柄な人は、私は信用しない。
    元カノの悪口を言ったり、
    だまされたとかそういうことを言う人も、信用しない。
    人を平気で傷つける人、(物理的にも精神的にも)
    人をだますために嘘をつく人、
    自分の利益のために他人を蹴落としたり、利用することをなんとも思わない人、
    卑屈な人、他人に恨みを抱く人、誰かのせいにして自分を振り返らない人、

    そういう人は、どんなにスペックがよくて
    外見は素敵で、
    私に親切だったとしても、
    そもそも好きにならないです。

    人間として、相手がチャーミングで、信用できて、
    多少の欠点はあるけど、
    許容できる範囲だったら、
    その人を人として信用する。
    心を預けてみる。
    だまされてもいい、いったん、信じてみる。

    そういう気概がないと、
    本当の心の交流って出来ない気がして。

    自分だけはだまされまいと、
    心にガードをかけて、
    少し引いたところから相手の動向を窺ったりとか、
    相手の出方を見て、
    行動を精査してから好きになるか判断しようとか、
    ついしがちなことだけど、
    それをやると絶対に相手に敬遠される。

    相手も、ガードをかけてこっちに対するから、
    本当のところは見えない。
    いいところも、ダメなところも。

    恋愛って、ある種、正面勝負っていうか。
    決してシュミレーションは効かないって言うか。
    いったん相手を信じて飛び込んでみるしかない部分がある。

    もちろん、最悪の場合は、だまされるでしょうね。
    でも、それすら、ひとつの大事な経験になる。

    私の若いころの話です。
    すごく好きな人がいて、
    まだ何もテクニックなど持たない幼い私は、
    彼との距離が縮まって、彼が自分を好きっぽい行動に出てきたので
    有頂天になって浮かれてた。
    いざ付き合うかどうかっていう段になって、
    彼が白状したのね。

    実は、そんなに私と付き合うつもりはなかった。
    ホントは元カノのことがまだ好きで、
    他の子は遊びのつもりだったと。

    でも、私があんまり大真面目に彼を好きで、
    彼が私を好きだと信じ切ってるのを見て、
    さすがにまずいなと思ったと。

    この子をだますのは忍びない、と思って、
    ホントのことを言おうと決意したらしいのね。

    まーショックでショックで、泣きましたよ(;´Д`)
    その後、結局彼と正式に付き合うことにしたけど、
    うまく行かなくて、ドロドロぐちゃぐちゃの末別れちゃったんだけど。

    でもいい勉強になった。
    というのも、だまされた!自分がバカだった!と思ったからじゃないよ。

    むしろ逆で、
    自分がバカ無邪気に相手を信じて飛び込んで行ったから、
    彼はそこまで誠意を見せてくれたんだってこと。

    だから、私はだまされたとは思ってない。

    そのあとも、
    私を好きなのかな~という熱烈な行動に出ている男子が、
    いい感じになったとたん引いちゃって、
    「どうして?!あの行動はなんだったの?」と思った時も、
    一時だけの恋で終わってしまった、
    情熱的な彼がいた時も、
    だまされたとは露ほども思ってないです。

    実際、そういう意味ではだまされてないし。

    だますってのは、
    そもそも目的がお金だった、とか、
    ほかに彼女がいるのにだまってた、とか、
    付き合う気がないのに、付き合おうって言ってたとか、
    そういうことでしょ。
    そういう人として最低なことをする人って言うのは、
    絶対にボロが出てるもんだから、
    好きになる前に気づくもんですよ。

    そういうそもそもが悪な男には引っかからないようにしたいけど、
    普通は、別に、
    だますつもりなんかないし、
    振りまわすつもりもなかった男子がほとんど。

    単に気が変わっただけ。

    そういう場合は、別に、だますだまされるは関係ないと思うのね。
    気が変わっただけなんだから。
    付き合ってから気が変わったり、
    結婚してから気が変わったりしたら困ったもんだけど、
    そうでなく、付き合う前とかだったら、もう仕方ない。
    そんなのよくある話。

    いちいち、「だまされるんじゃないか」ってかまえていられないレベル。
    だからね、
    そういうただの気が変わっただけの男を、
    こっちもそんなに長々引っ張らなきゃいいんだし、
    そもそも傷つかなきゃいいんです。
    (って言っても傷つくのは分かるけど)

    ただ、たった一人の男に選ばれなかっただけで、
    人間すべてを否定された気になって、
    恋にガチガチに警戒心を持つのは、
    あまりにもったいない話だと思うの。

    私なんか、何回失恋したら気が済むのってくらい
    失恋してますよ。
    ちょっといいなと思って、デートして、
    いい雰囲気になったりいい関係になってから
    さーっと引かれて退場されたケースを含めたら、
    そりゃもう無数ですよ(何)

    でも、そんなのね、私のことを何ひとつ阻害できないの。
    私は、そんな細かい擦り傷くらいじゃ、
    何ひとつ変わらないの。
    彼らは、私を殺すことなんかできないの。
    私の恋する気持ちを、殺すことなんかできないの。

    だまされると思うと委縮するでしょ。
    相手を疑いの目で見て、
    細かいことも気になって、
    神経質になるでしょ。
    減点方式では人を好きになるのは難しい。
    だって、人間なんて本来、
    小ずるくて、弱くて、ダメな生き物なんだから。

    自分だって、
    振り返ってみれば、
    小ずるくて、弱くて、ダメな生き物なんだから。

    だまされたくないと思う人はこう思ってみてはどうでしょう?
    相手を人として信じられるかどうか判別したら、
    一度心を預けて、信じてみる。
    悪意があってだまされる以外は、
    基本、気が変わっただけで、だましてるわけじゃないんだから、
    必要以上に傷つかない。ショックを受けないこと。
    そもそも人として信じられないような人のことは、
    好きにならない。

    相手を信じられないなんて、
    そんな不幸な恋愛はないですからね。
    不幸な想いが恋だと思ってるなら、
    その発想自体をチェンジするように、
    たくさんの幸福な恋愛を見てみてください。

    この世には、
    普通に信じるに足る誠実な男性があふれていますよ。
    もしも悪意のある男ばかりが寄ってくるとしたら、
    そういう男性を心のそこでは求めてしまっているのかもしれないね。

  • 私は彼に耐えている!という発想

    こんにちは!
    今日は、たくさん頂いているメッセージでの恋愛相談のうち、
    ふと気になったことから書きます。

    とあるご相談の中にあったのですが。

    彼に依存していることは自覚している。
    彼とは一回別れたけど、沈黙を経て復縁。
    でも、小さな嘘に気付いてしまって、信用できなくて辛い。

    という内容のものですが。
    何が気になったかというと、
    ご相談の全編に存在する、
    「耐えている」という発想について。

    見過ごせない嘘をつかれても耐えている私。
    出張先から連絡をもらえなくても耐えている私。
    自分の満足いく愛情表現をしてもらえなくて耐えている私。

    その、ひとつひとつが、自分にとっては大問題で、
    ものすごく頭を占めている。

    でも、実は客観的にみると、
    そんなに被害妄想にかられるような内容とは思えない。

    つまりです。
    人間て、同じ事柄が起こっても、
    気にする時は気になるし、
    耐えなきゃと思えば、耐えることになる。

    でも、そもそも他の人だったら気にならなくて、
    まったく耐える必要がないことである場合もある。

    よく私が実際に友達に恋愛相談されて、
    こまこまと気になることを言いたてるから、
    一笑に付して、
    「そんなの男だったら当たり前だし、誰だってすることだよ。
    愛情の有無とは関係ないよ」と言うだけで、
    さっぱり気にならなくなって、
    その後彼との関係が改善したりすることが少なくありません。
    別に彼が何か変わったわけではなくね。

    ってことは、

    恋愛ってのは、思いこみの仕方ひとつで、
    うまく行ってないと思いこんでたものも、
    実はうまく行ってたりするし、
    こっちの気の持ちようだけで、
    余裕ができて、うまく行くこともあるんです。

    相談者さん自身よくお分かりのように、
    恋愛に依存していると、
    どうしても相手の自分とのかかわり部分だけをクローズアップして
    単体で判断しようとし出します。
    そして、自分に誠実でないと思いこんでしまいます。

    でも、実際の人間と言うのは、
    恋愛関係だけで成立してるわけではなく、
    もっといろいろな人間関係や事柄とのかかわりでできています。
    だから、自分とのかかわりだけで
    あれこれ相手を責めたり、
    相手に要求すると、
    相手は疲れてしまうし、ウンザリしちゃうんです。

    よく私が思うことですが。
    恋愛においては、自分が主人公になりがちですが、
    他人は誰も、
    自分と言う物語の相手役やわき役ではないんです
    その人の人生の主人公なんです。

    だから、自分中心のものの見方をしている限り、
    決して彼の立場に立ったものの見方はできないし、
    その想いを思いやることはできない。

    たとえば、自分が「耐えている」という発想は、
    とても自分本位な感じ方なんですね。

    自分の思い通りに振舞ってくれない、
    自分のために動いてくれない彼に、
    自分は我慢している、という風にそもそも思ってしまっているということだから。

    もしも、相手には相手の人生があり、
    相手の人生の中心にいるんだということが分かっていれば、
    彼が自分のためだけに行動するわけがないことは、
    そもそも自明のことです。

    もしも彼が他人である自分のために何かしてくれるとしたら、
    彼がそうしたいから、という状況以外はあり得ない。
    そうさせるだけ、自分が彼から愛されているのか。
    彼に愛させるような何かを自分が持っているのか、
    その愛情に返せるだけの何かを持っているのか、という話なんです。

    自分以外の誰かの行動に対して、
    「耐えている」という発想は、
    恋愛関係においては決して健全ではないです。

    それは、相手が改善してくれることを望んでいるから。

    そうではなくて、
    相手が相手らしく自由に振舞った時に、
    自分も横にいて、何の我慢もなく、自然にいられるか。
    相手の自然な姿に自分もくつろいでいられるか。
    それが大事なんですよね。

    相談者さんの書かれていた「嘘」は、
    第三者から見ると、まったく無害な、何も責められるべきことのない
    彼の自由の範囲内の嘘です。だって、あなたには何の損害も与えてないんですから。
    それくらいの嘘くらいつけないのであれば、
    なんて息苦しいんでしょう?

    そして、結婚というのは、生活していくというのは、
    そういうどうでもいい些細な嘘やごまかしを、
    見て見ぬふりすることでもあります。

    男ですから、たまには見栄を張ることもあるでしょうし、
    彼女や奥さんでも詮索されたくない、自分だけの時間も必要です。
    そういうところの、プライベートゾーンのあいまいさを、
    いちいち問いただし、糾弾し、
    すべてを日の下にさらせと迫るのは、
    いくらパートナーでも傲慢な行為じゃないですか?

    私も、たまに、旦那がどうでもいいことで
    自分の非をごまかすのを目撃しますが、(笑)
    別に浮気してるわけでもなし、
    あえて気づかぬふりをすることがありますよ。
    そんなことで神経質になっていては、
    生活していくのに、すり減ってしょうがないですよ。

    男にとって、理想の女性、結婚したい女性と言うのは、
    おおらかで、
    自分のすべてをありのままに受け止めてくれる
    懐の大きい女性です。

    最近子どもがいるのでよく分かりますが、
    母親と言うのは、子どもがどんなに欠点があっても、
    その欠点ごと抱きしめるようにまるごと愛するものですが、
    男が求めているのは、そういう、母親的な愛情なんだなーと思います。

    いちいち、細かいことで傷つかれたり、
    疑われたり、耐えられたりするのでは、
    男性は心からくつろげないんではないかな。

    大事なのは、頭で考えて、
    「こうならなくちゃ、こうあるべき」とがんばることではなく、
    心の底からそう思えること。
    我慢している、耐えている、と思ってしまう時点でまだまだ、
    自分は被害者だという意識があるんだと思うんです。

    一度考えてほしいのは、
    相手は自分のために生きているのではないということ。

    そして、結婚とは、
    誰かが誰かのために人生を捧げることではなくて。
    それぞれの人生の主人公である二人が、
    ともにいることで、より豊かに、
    より助け合って行ける状態にあることなんです。

    もしも彼に対してつらい、苦しいことが多いのなら。
    それは耐えている自分の発想のせいだと気づいてください。

    そして、この世には、
    耐えなくても、何の努力もしなくても、
    相手のそのままを愛せる人がいるということ。

    そのためには、自分も、自分の人生を一人で切り開いていく勇気を持つことが大事だと、
    気づいてください。

    恋愛も結婚も、育児だって。

    誰かに幸せにしてもらうためにするんじゃない。
    自分で自分を幸せにするためにするんです。

  • 子どもは神様からの使い

    もう徐々に薄れゆく記憶なので、
    早いうちに書いておこうと思います。(笑)
    いや、子どもができて、
    まだホヤホヤの謎の生命体を眺めていて、
    よく思ったこと。

    それは、
    「子どもって神様の使いみたいだなぁ。」
    ってこと。

    なんて言うか、まだしゃべれない、
    ただじーっとこっちを見ていて、
    自分の要求を、それと意識もせずか主張する生物。
    記憶が残らないせいで、誰もそのころ何を思っていたかは分からないけれど、
    目に宿る知性の光を見ていると、
    とても、何も考えてないようには思えない。

    伝える手段がないだけで、
    何か思っているような。
    ただ受け入れて、すべてを受容しているような。

    そして、その存在だけで、
    親という存在に、
    存在意義というか、人間とは何か、という根源的なものを
    問いかけてくるような。
    試しているような。
    そんな神々しい存在に見えることがある。

    とても、未熟な生体とは思えない。
    もっと、ピュアで、
    無垢で、
    ただただ受容する、
    愛されることだけを望んでいる存在。

    天使のようだ、とはよく言うことですが、
    私には、裁きの神に見えました。

    私につねに問いかけてくる。
    試している。
    お前の人間性はどうなのだ?
    このピュアで無色透明の人間の器に、
    何を満たそうというのか、と。

    子どもを産んでから、
    幾度となく、自分の人間性や、人生観、生きざま、
    そういうものに向き合うことになって。
    時には、自分の低俗な人間性にうんざりしたり、
    この、卑屈で劣等意識の強い自分の嫌な面が、
    子どもに悪影響を及ぼしたらどうしようかと怖れたりして。

    でも、その恐怖がまた別の強迫観念を生むこともあるしで、
    悩みは絶えず襲いかかってくる。
    私自身が、母親に抱いたようないらだちや、
    実母だからゆえの嫌悪感、絶望を、
    こんなにも全身全霊で愛している娘に、
    いずれ近い将来抱かれるのだとしたら、
    とても耐えがたい苦痛だと怖れるのです。

    子どもを産むということは、
    自分の半生を、もう一度編集し直すことでもあるのだと、
    よく思う。

    もう一度自分自身の記憶の限界点までさかのぼり、
    もう存在しない、幼かったころの記憶を想像し、
    おそらくは、そのころ、世界のすべてを受容し、
    すべての人間を愛し、愛されるだけの絶対的幸福な存在であったことを、
    一生懸命思い描いてみる。

    写真の中の私を見る限り、
    いつも満面の笑顔で幸福そうに写っている。
    母親の膝に、父親の肩にかじりつき、
    大きな口を開けて笑っている。
    そんな幸福な時代の記憶が、
    どうして抜け落ちてしまうんだろう。人間とは。

    記憶があるのは、
    もっと自分の存在に悩み、
    将来を憂い、
    親を呪うような年になってからだという皮肉。

    私が持っていない、唯一純粋無垢で絶対的に幸せだった時代のことは、
    親しか持っていないのだと。
    いま、自分の娘の幸福そうな笑顔を見、けたたましく笑う声を聞きながら思う。

    お前はこんなにも幸福そうで、
    こんなにも、口を大きく開けて笑い、
    こんなにも、私たちを愛していたんだと、
    いつかどうやって伝えられるというのだろう。
    子どもは、自我が芽生える前は、
    どんな人格なのだろう。

    親のコピーでもない。
    動物でもない。
    おそらく、喜怒哀楽も、思うところもある、
    だけど表現もできない、
    記憶にも残らない、
    不思議な生命体。
    それは、神と呼んでもいいのではないかと
    たまに思う。

    プライドや、卑屈な思いや、悪感情などの、
    ネガティブな思いはなく、
    ただお腹が空いた、退屈だ、愛されたい、
    というだけの純粋な欲望に従って生きる人間。
    そんなものに対峙していると、
    自分が自分だと思っている、人間性のほとんどが、
    くだらないまやかしの後付けであるように思える。

    こんな物想いをさせてくれる子どもというのは、
    なんと得難い、貴重な存在であるのか、とつくづく思う。
    子どもはかわいい、とか、
    そんな言葉では到底言い表せないくらい、
    子どもという存在は、
    我々にあらゆることを、語りかけて来ているように思うのだ。